2017年11月25日土曜日

信じる気持ちと、ちょっとした隙間

ブロンザイト ポリッシュ(私物)

以前から好きで、最近ようやく自分用を確保した、ブロンザイトの磨き石。どこか古い仏像を思わせるような渋い姿と、凝縮された時間の重さを感じさせる密度の濃い鉱物であるところが好き。名前にはブロンズ=銅と付いていますが、成分的には鉄を含むよう。実際に重たいのです。和名「古銅輝石」(こどうきせき)も風情があって素敵。
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前記事でご紹介した、マスターウラルレムリアンTM ダブルターミネータの3点の、リュミエールup前の先行販売(8%オフ)は、11/26(日曜日)まで。Facebook でのみお知らせを出していて、昨日の記事更新の際にここに書くのを忘れてしまっていましたので、追記します。前記事をご覧の上、ご希望の方は26日24時までにメールでご注文ください!


個人的に、今年は本当に作り変えのための地殻変動の年でした。
正確には、今年の4月から今。11月まで。もう揺さぶられる時期は終わりました。メカニズムの概要が見え、対処できたからです。変換点においては、「今までと同じではダメだ」というサインが色々な形で、潜在意識やソウルのセルフから、こちらの世界に具現する必要がある。「今までと同じではなダメだ」・・その構造が長年、作り上げ、鍛え上げて来たものであればあるほど、はっきりと鮮明に気づいて、大規模な変換にも自分が対応しなくてはならないのに、なかなかその深刻さや事の大きさに気づけないのはなぜか・・・言わずもがなですが、三次元のパーソナリティつまりエゴセルフの思い込みや狭量、拘りや、不器用さゆえなのです。誰にとってもそれがネックになり、

「今、変える時ですよ。まだまだ足りません。もっと気づいて下さいよ」というサインを、幾つももらうことになる。

自分でどうやら、変換点を物質化させるにあたって、とても意外な方法を取っていたことが自分で分かって、それに対してエナジーワークをしたら、あっさりと、今年の4月からうっすら悩まされていた体と頭の反応のプログラミングのようなものが、外れました。体調などではないので、悩まされるというほどではないのだけれど・・これまで無かった「反応」が自分の中に、急にプログラムされてしまったかのようで、不便さを感じていました。それってエネルギーとして、どこから来た、何だったのだろう・・・・・と、冷静に考えてみると、

自分自身のものではない事がまずは分かり。では、どこでどうして拾ってしまったんだろうと思い巡らせた時、ある場面を想起しました。今年の4月のあるセミナー中に話していた時、突然に、見えているサロンの風景が「ガクガクガクっ」とまるでエレベーターで降りるように「下がった」瞬間があり、自分のエネルギーも冷たさを帯び、急に胸と頭に不安のようなものが「入った」・・・そんな経験はこれまで無かったので、正直なところ、セミナーを中断したいくらいびっくりしたのですが、そうもいかずにそのまま続けました。が、明らかに振り返ると、その日そのセミナーから、不調が始まったのです。

では、「ガクガクガク」の前に何が起きていたか。を、やっと冷静に振り返ると(遅い・・いつも乍らに)、ある話を聞いていて、心が動いた。無意識だけれど長年、ヒーラーをすることで調整されているハートが、人間レベルで「ぱかん」と開いた瞬間がありました。そこに、ヒュっと何か風のようなものが入った感触、その時点で自覚していたのですが、分析できていなかった。しかし・・・今思えば、その時に話していた方が、少しずつ解放しつつあった大きな恐れのパターンの生きたエネルギー、前に記事にも書いた「カーママナス」のようなものが、

自分にも関係する話だっただけに、良い意味で感動して、いつもなら開かないようなところまで「パカ」っと開いたところに、その方に完全な解放の止めが起きた瞬間でもあったので、ヒュっと私のところに移動して来て、ハートシードに入り、プログラミングになった・・・・ということが、半年以上過ぎて、ようやく分かりました。不思議なことにそこまで追求し外すという事をしないまま、ひとつひとつ、「下がった」層での体験をくぐり抜け、その都度、選択していくたびにエネルギーの周波数を取り戻し、強化することで一通りのテストを終えていくような数ヶ月でした。

ここ数回の記事が、その行き着いた先です。確認するために、敢えて練習問題に取り組んでいく・・・そのためには、もう自分からは解放して生きていて作動する恐れのパターンがなくなっていたから、近くに居た人が今解放しつつある、その人を長いこと、恐れさせて来た生きたエネルギー体を、体の中に入れてしまった。。。(今となると笑える。本当に、笑いが出ています。。)互いの魂は同意の上で、脚本を書いていたのでしょうね。なので、ここで起きたことに関しては、まったく相手の方に不満やツッコミは無いのです。不思議なくらいに。。

一方で、その後に見た色々な世界、そこに紛れ込んで来たものについては、たくさんのツッコミを自覚していて、エネルギーの侵略や、そうとは見えない形で善良な人をアンテナに使って(使い捨てをして)、妨害や攻撃をしてくるエネルギーには、改めて「呆れた」わけです(笑)。そんなことを感じていた最近、サロンにいらっしゃったお客様がまったく同じことを語っていて、「やっぱり、ダメなことはだめ。してはいけないことは、しちゃダメだ」という当たり前の、しかしそれがエネルギー次元であるために、何て分かりにくいのだろうという話を・・・語り合いました。

クラスではお話しして来ていますが、ここで得られた知識はまた、知恵として、皆さんのニーズにお応え出来る講座にしていく所存です。リリス系エネルギー、ダークサイドのブラックマジック、それらに動かされたり媒介になっている「普通の人々」や、自分は光で動いていると信じてしまっている人々、実は攻撃されたり侵略されて対処している人間よりも、それらの「使われた」人々のほうが、その後、ダメージが大きいし、当人がその自覚がなかったり、仮に言われたとしても信じないことで、いつまでも影響が影を落とすし、引きずってしまう。影響から抜け出せない。中にはそのまま、魂や人生の可能性を売ってしまう人も居るかもしれません。その方が楽に思えるのは、心の弱さゆえです。

ただ、本当に分かりにくい。そして、「そんなことが本当にあるのだろうか」と思えてしまう。・・・そこが既に、そういったネガティブなエネルギー、その世界に、部分的にやられてしまっている事を意味する。そう、そのレベルならば一般のほぼ全ての人々が、同じでしょう。かつては私もそうでした。だからこそ、この世界は戦いや戦争、汚染や侵略があり、それを反映して病や悲しい現象化、理不尽な現実があるのです。

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グレゴール・メーレ(ドイツ)解説『ヨーガスートラ』(ガイアブックス)より

「月の態度(女性的エネルギーの流れに偏った状態のこと)」に従うと、天性の能力を使う前に放棄してしまい、自分自身を変えることはできない。私はありのままでよく、何も変える必要などないし、実際誰も皆そのままでいいのだ、という事になる。極端になると、誤った見解を認識することができなくなり、『一般には許容範囲かもしれないが自分にとってはふさわしくない』見解や価値観を拒絶することが出来なくなってしまう。
もし誰も皆そのままでいいのなら、なぜ人類の50%は貧困で暮らしているのだろうか。なぜ、何千年もの間、私たちは常に戦争状態を生きてきたのだろうか。なぜ、刑務所も精神病棟も一杯なのだろうか。なぜ、地球は人間を振り落とそうと怒っているかのごとく、変動しているのだろうか。「月の態度」は相対主義とも言える。ある角度だけ見るとすべては真実であり、何事もさして心配する必要はない。相対主義は心の罠であり・・・」 
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私の感触では、こういった意味での二極化、あるいは自然淘汰が、これからの「スピリチュアル」に起きて来るのだろうと。同じ立場にある方々と最近、お話していて、リーダーやティーチャーたちの覚醒がこのところ急激に進み、新しい層へ移行をしているのにあたり、そのフォロワーというか、学びのために後に続く層がまだ、その進化変化に意識とエネルギーが付いてこれていないというのが、今年の特徴であるとお聞きし、本当にその通りだと感じます。来年にむけてこれから、その次の層の覚醒が続くのでしょう。

その動きの中で、お世話になった先生とはもう10年も前に語っていた、「スピリチュアル」のくくりの中での極化がよりはっきりしてくる。メタフィジカル=スピリチュアル=エネルギーの世界=宇宙を語る・魂を語ること は、数千年前からヨーガやインド哲学がはっきりと語っているように、私たちが「ひとつである」源へ回帰していく事であると・・・そのためには、個々のエゴセルフを昇華していくからこそ、ワンネスなのであって、個々のエゴをそのまま残したまま(自分は何もしないまま)、楽しそうなワンネスやアセンションが語られるという形で「成長を止められている」状態から、

抜けて行かなくては・・・・と、気づく人々が増えていく流れが本格化、既にしているのでしょう。その動きにあたって、まずはティーチャーやリーダーに当たる人々が揺さぶりを受けて(自らに体験させ)、それでもなお・・という肝だめしを、体験していたのが今年の数ヶ月だったのだろうということを、自分が上記の「カーママナス」を取り出して、元の自分の層に戻り、全てを振り返っていた所で、同じ立場にあるほかの人々とシェアしあうことができて、これにて一区切りと感じました。

さらにその数日後に、ジェネシスヒーリングのプラクティショナーお二人めの認定セミナーがあったのですが、私が上記のメカニズムを感じてから数日かけて行っていたセルフワーク、「周波数を持ち上げてあぶり出す」「ハートシードから『異物』を取り出し修復」「6次元の源へと再びラインを構築して完了」というスリーステップを、彼女が開発して持ってきた彼女のオリジナル光線3つで、再びすべておさらいのようにやってくれるという素晴らしい展開に、いつもいつも、我々の背後にあるバックアップ体制、采配は凄いと感心しました。

本当に、彼女自身が感じ取って、既にモニタリングでも確認を経ていたそれらのエネルギーの効果や働き方が、まったくその通りだったようです。出来過ぎた展開を通じて高次からの太鼓判を、彼女も、私も、頂いたわけです。そして「ジェネシスヒーリング」凄い。改めて他人事のように、感じ入りました。




サロンでは、最後の「ヒーラーズカレッジ」5期の全クラスが終わり、皆さんはただいま課題への取り組み真っ最中。

来年の講座のことを考え始めていて思うのは、もう、今日書いたようなことやここ最近書いて来たこと、「スピリチュアル=メタフィジカルとは、魂で生きることが真の人間の姿であり、現代人はそれができてない・・そこから、エゴセルフの抵抗を収めて、ソウルセルフとして生き、人生を創造し、かつ自分がやることになっている使命を消化することで世界の一部として貢献する」が、もう当たり前のことで、そこに誤解が生じないような空気には、これからなっていくのだろうと。

スピリチュアルリーダーと言われる人たちでも、もしかすると、そこを見誤って(絡め取られて)しまっている人々も多いのかもしれない。なぜか?闇側の力が働くとすごくパワフルで、すぐに結果が出て、効いているように見えるし、マジカルな「魅力」もあって人を惹きつけるのです。でも、善良な人たちもたくさん、各分野で活躍している。常に攻防しながら、それをあえて口に出すことをせず。

神智学が語るに、人類はもっとも重い時期、つまり二元性を極めて物質主義や利己主義を極める時期はもう、通り過ぎ、今は上がり調子。『サットヴァ』の記事に書いたように、常に1層多いその差はなにか。利他=愛 であろう、それだけです。パワフルかそうでないか、名声があるかそうでないか、ビジネスで成功しているかそうでないか・・・・では、見極めの基準にはなりません。同じように見えてしまうので。だからやはり、個人個人が、サットヴァを高めていくしかないのです。

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エンジェルケープアメジスト Lumiere にupしました

このところ、Arganza Update ブログで、ご連絡事項をほぼ毎日、更新しています。
来年度の星巫女木曜クラス、石巫女(日曜日)の1〜4期生と、一般の方の受付についてupしていますので、宜しければご覧ください。

来年度からの新しいスクール「インテンシブ」クラスの募集状況と概要の変更点についてもupしています。

ちなみにお問い合わせを何度か頂きました点について・・来年度からのスクールは男性も参加可能です。それと、石巫女・星巫女などカレッジマスタークラスは最後になるので同時に2クラスもOKです。ご検討ください。

レコンセクレーション新認定制度で初セミナー 来年2月


今月30日(来週木曜日)カルナレイキ・マスター あと1名入れます。そして12/21(木)11:30〜個人セッション枠に空きが出来ました。どちらも埋まりました。ありがとうございます。

そして・・3月4日(日)に、『エコール』初始動で、1デイセミナーを4月を待たずに開こうかと調整中です。また近いうちに、アップデートブログでお知らせしますね。


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シャッタカイトシリカ・スフィア小さめ Lumiere にupしました


今日はこのくらいで。。

Love and Grace,
Amari

2017年11月19日日曜日

センタリングの力/ヒーロー&ヒロインの法則


シチリア島サルファー結晶

2013年だったかと思います。秋のミュンヘンショー由来品として出会ったイタリア、シチリア島サルファーの結晶原石。サルファーは硫黄そのもの。綺麗なクラスターやラフな原石、水晶にちらっと混じったレモン色のクオーツもありますが、このように単結晶で、だいたい4cm四方のサイズの美しい原石というのは独特。そのまま標本として大切にしたい風情の中、たくさんある中から大きく美しいものを選び、リュミエールにも出していました。

ひとつをサロンのロフトに置いていたら、2015年だったか、当時のブログにも書きましたが、やや大きな地震(震度4くらい)があった翌日にサロンに行ったら、棚の上から落ちて、粉々になっていました。そうそう、サルファーは柔らかいので。。

砕けてもなお美しく、エネルギーも高い石なので、そのまま大事に置いてありますが・・この単結晶の様子が特別なものだから、またいつか仲間たちを迎えようと思いつつも、仕入れに出向くと少しずつ減っていくのをいつも見つめていました。先日、取引先の業者さんへ行って、アイコンタクトした時には迷いなく、それも最後に残っていた2つを一緒に迎えることに。

以前、リュミエールに出したりサロンにあったものと比べると、やはりサイズが小さい。けれど、リュミエールでご紹介した幾つかもご縁の深い方たちのところへ行き、サロンで割れてしまったひとつとの繋がりも感じながら、4年経ってもなお残ってくれていた二つを感謝とともに、私物として迎えました。

2013年当時、確かちょうど地中海のマーラ(マリアエネルギーの源泉がレムリアに降下し、地球物質界にもたらされたもの。多くは海に眠っている・・アルガンザの『レムリアントランスミッション』ページ参照下さい)の痕跡についてワークするようなことがあり、出会ったのも偶然ではないタイミングだったと感じています。今はもうシチリアでも採れない、オールドストックとのことでした。ミュンヘンショーならではかもしれません。

ヒマラヤのアースシードライトや、マスターウラルTMも、2015〜16年の石巫女で、それぞれヒマラヤ、ウラルのワークをした直後に日本に入ったというご縁。パタゴニアのクオーツもそうでした。アルガンザのアースワークは常に、本当に有難いことに、鉱物界と、背景にあって自然界をも司る地球のマスター界、そして地上で石たちを「発見」し「見出し」「運んで」来てくださる方々、もちろんお客様がたとも、常にシンクロして事が運んでいきます。

この結晶たちと出会った印象深いミュンヘン仕入れ、ちょうどカレッジが始まっていて、一期生の皆さんと入荷した石たちを眺めていた4年前や、サルファーがロフトで割れた2年前・・カレッジ2期を終えて夏に確か、「ヒーラー仕事をする上でアストラルからメンタルへの移行」を決意し、それにより起きた出来事など、いくつかの場面を思い出しながら、このサルファーたちを眺めていました。




そうそう。トップに載せた写真は、メテオライトのプレートの上に乗せていますが、互いに細粒のような高周波を出すので、上に乗せたらばシナジー効果で余計に高まって、「すごいすごい」と喜んで数日、このまま置いていました。そしたら、先日サルファーをどかしてみたら、メテオライトに変化が起きていて・・・硫黄の成分が、鉄分と反応したようで、ピッカピカの美しいメテオライトの表面が白く濁った感じに。

「きゃー!!」と慌てて、閃いたままに「アレッポの石鹸」(大好き)で表面をこすったら、硫黄の影響はきれいに消えました。むしろ全体が前よりもピカピカに(笑)。良かった・・・・・でも気をつけよう。鉱物はそれぞれ成分を持っているということ、忘れてはいけませんね。。。メテオライトも鉄なので、濡れたままにしておくとサビが出るそうです。私はプレートとリング2つを愛用しています。普通にしていれば大丈夫ですし、濡れてもちゃんと拭けば(コーティング処理はされているので)差し支えないですが、コーティングなしのアイテムや、濡れっぱなしの状況は気をつけてください。

そう。そして割れやすい石は、万が一地震が来ても、落ちないところがいいですね。今度のサルファーたちは、気をつけなくちゃ。

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さて、サルファーと、アイアンメテオライトというと、私の中でテーマは「センタリング」です。揺れない、ぶれない自分軸。今の世の中で、何があっても、周りで何が起きても、ずっとぶれない・ずれない軸を持ち続けている人は、たぶんとても少数派だと思います。頑固、とは意味が違います・・(笑)・・そういうレベル、つまり感情や思考の問題ではなく、エネルギーや、思考よりも深い魂と連動したアイデンティティのようなもの。

そういう意味で「ずれない・ぶれない」人は、映画や物語のヒーローやヒロインになっていますから、やはり特別な人として、取り上げられているくらい、希少だし、本当はみんながその生き方を美しいと思っている、でも出来ないと思っているから、特別な人=英雄として、主人公になるのだと思います。


はい。こちらは「はいからさん」で著名な大和和紀さんの最新作『イシュタルの娘』です。ちょうど16巻が出たところで完結し、我が家でも読み終えたところ。私は同先生の作品は、高校時代に読んだ『あさきゆめみし』に続いて。。という感じで、他は、たぶん子供のころに読んだと思うのですが、『はいからさん』『ヨコハマ物語』など・・それらは余り、覚えていないのです。が、『あさきゆめみし』以来、久しぶりに読みふけりましたね、この作品。

「母が娘に教えたい昭和の日本が誇る少女マンガ」シリーズが我が家にはありまして(笑)『メイミーエンジェル』『あさきゆめみし』が特におすすめなのですが、なぜか突然に去年、「Amazonの天使」が「あなたにおすすめ」でこの『イシュタル』を提示してきました。当時ちょうど、理由は忘れたけれど戦国から江戸への切り替わり、のようなテーマを思考していたところだったので、ふむふむと思って娘と一緒に読むことに。

戦国時代の豪華な顔ぶれと、大河ドラマ等でおなじみの主だったエピソードが、小野於通(おののおつう)というヒロインの視点を通して展開されるので、そのあたりの歴史が好きな方にはなおさら面白いであろう・・信長、秀吉、家康から家光や春日局、その時代に出てくる有名人、浅野三姉妹や細川ガラシャ、おね・秀吉の妻妾たち、真田兄弟、利休や出雲阿国などなど、オールスターです。

幼いころの信長との関わりや、秀吉と淀の治世から大阪落城まで、そして江戸の始まりや家康・秀忠・家光の徳川三代までの変遷、同じく京都の天皇家・公家がたとの絡みも描かれていて、物語としても非常に面白いですし、源氏物語を扱った『あさきゆめみし』もそうでしたが、スピリチュアリティ、サイキックなエピソードや人物も登場するので、勉強になる・・・ことも。ヒロインの「お通(つう)」さんがそもそも、オーラや人の未来や霊的なエネルギーの流れを感じる人なのです。印象深かったエピソードは、

お通さんの大事な人である公卿の近衛信尹が秀吉に恨まれ、秀吉だけに生き霊が強くて倒れこむ場面があったり、秀吉の後継者である秀次が悪霊に取り憑かれて堕ちていくエピソードなど、この分野を深く知っていないと書けないようなリアルさを感じ、またその場その場でヒロインのお通さんがどう立ち回るか、そしていつもお通さんを助けている謎の反物質?な聖者というか、、性別年齢不詳の(たぶん)高次存在が物質化した方が居るのですが、その方が陰陽師のようにそれらの霊障にあたる様子なども、勉強に(?)なりました。

戦国の大変な時代の激流の中、そういったオドロオドロしい場面に汚されることもなく、どこまでも凛と強く潔く、そして当時には異例の「書家」という才能だけで時代のハイソな人々に「師」として迎えられ敬愛され、重用されて、時に権力者たちに影響さえ与えながら、激動の時代を生き抜いていくという、まさに単に主人公ではなく、英雄的ヒロインとして描かれている。

そしてこの揺るぎない女神的原型を持ったとも言えるキャラクターゆえに、『イシュタルの娘』なのだと思いますが、15年前に書いたAmari 拙作『ハピの巫女姫』の主人公であるセイレンと、とても似たものを感じました。というより、こういう状況ならばどうする、という思考回路や行動のパターンなどが、ほとんど同じと言ってもいいかも。

「恐れではなく愛」で、選択をする。とか、ハイヤーセルフつまり女神が懸かると怖いものなしで、男性性が繰り出す暴力性や時代の残酷さなどにも果敢に飛び込んでいく。そして様々なエネルギーを感知するだけに、人の本質を見ることで、相手が権力者であろうと何であろうと、その本質に対峙しようとする。ゆえに、普通の人では出せない結果を出すことが出来る。。。から、時に歴史を変えるような奇跡を起こす。

世間の潮流や、三次元的な損得や利己のジャッジメントや価値観、周囲で起きるアストラル(感情)や風潮レベルの多数派のエネルギーなどにも、まったく毒されない。ただ自分を生きていく、ゆえに危険を伴うことも、敵を作ることもあるけれど、結局はその神がかった自分軸で、大きな力を繰り出し現実世界に影響を与えていく。。。これぞ究極の自分軸。これが出来るということは、ハイヤーシステムとの(神智学的にいえば)『整列』が出来ていて、(カレッジ的に言えば)アンタカラナとメタフィジ筋のたまもの(笑)。常に自分がどうしたいか、は、揺るぐことが無い。

もちろん人であるから、嘆くことも恐れることもある。が、必ずスイッチが入り、「為すべきことを為す」・・・関わった人は、時間差でようやく何が起きたか、ヒロインが何をしようとしていたかを知り、自らの利己的な態度や生き様に愕然としたりする。こういった女神性の強い人は、本当にいらっしゃるなあと思っていた日の夜、つい先日ですが、なんとなくパチっとテレビを付けたらNHKでオードリーヘプバーンの番組をやっていて、「そう、この人も」と思いました。関係者の証言からも非凡さや卓越した精神性、佇まいや人への自然な配慮・優しさが、ほかの大女優たちとはまったく違っていたと。。

「人は この地上において どこまで聖性を生きられるか。」

実はこれは、若い頃から私が興味を持ち続けているテーマです。そして四十代半ばに差し掛かりもすれば、人生の本題に向かっていくという流れも自然と、やって来る。これからはきっと、このテーマを探求し続けていくだろうと思っています。研究、執筆を通じて。


今日はこのくらいで。アルガンザのサイトを手直ししています。また来年からの講座の予定などもそろそろ出て来そうです。また近日のうちに次の記事にて、お知らせします。

Love and Grace
Amari

2017年11月7日火曜日

To learn is to change --- 学ぶことは、変わること。



Line で発行しているメルマガ『Blue-m 通信』で、エピソードを書かせて頂きました、アメジストエレスチャル。1キロ弱ありまして、このファセットの不思議な波紋状の侵食痕ゆえか、ベータを思わせる両垂形状ゆえか、周囲にエネルギーの波が広がり、近くに居ると目がチカチカ?します。

最近はいろいろと想いが巡るうちに、うちの石たちを紹介しようではないかという気になりました。石に寄せてのお話はまた後ほどすることにして、先日自分の「チベット僧院での過去生」を書いたら、思い出して、久しぶりに見ていた映画についてお話ししようと思います。

1993年公開、『ラストエンペラー』他で著名なイタリアのベルナルド・ベルトルッチ監督作品。当時リアルタイムで見て、印象深い映画のひとつでした。去年、星巫女クラスのDVD 鑑賞(映画分析)で取り上げようかな?と思って20年以上のブランクを経てDVD を買って見てみたところ、やはり良い映画だなと思って。星巫女では結局取り上げませんでしたが、また1年振りに見て、いろいろと感じ入るところ、新たに気づくことなども。

ベルトルッチ監督はヴィジュアルに非常にこだわり、イタリアの監督らしいシュールで美しい映像を撮る監督です。坂本龍一さん(音楽)と組んで、「東洋3部作」として『ラストエンペラー』『シェルタリングスカイ』に続いて制作されたのがこちらの、チベット仏教を扱った『リトルブッダ』でした。

制作された当時、アメリカでホットな都市として注目されていたシアトルを、ブルー系のフィルターで写し、チベット・・は占領下なので、ラマたちの亡命先であるブータンやネパールのカトマンドゥ、僧院などを赤で。そして作中に挟まれる3000年前のブッダの物語を黄色&ゴールド系の色で描くという、美術効果としても非常に引き込まれる美しさを放つ作品です。「欧米の子供たちでも仏教の特徴を理解できるようなシンプルな物語に」という監督のコンセプト通り、ストーリーはとても分かりやすく、「三部作」の他の2作とは、そういう点では全く別物。

少し斜に構えていたというか、難しいものや、スパイシーでややデカダンなものを望んでいた21歳当時の私には、物足りなく感じたものでしたが・・・監督があえて易しいタッチで作った映画の中に、深いものがたくさん込められているということに、20年以上を経た今、素直に感銘を受けました。改めて・・・難しいものをシンプルに、易しく語ること、言葉や入り組んだ作りではなく、色や音楽やちょっとしたカメラワークや撮影の視点によって、大人向けの重厚感のある要素が表現されていることに、今ようやく気づくのでした。すごいな、イタリア、スペイン・・の映画は独特の濃密な大人っぽさを感じますが、歴史の重みに由来する、国民性もあるのかもしれない。

うん、、ベルトルッチ監督は、当時・・20代前半から好きで、よく見ていました。この作品にまつわるインタビューもどこかで見ましたが、劇中劇のシッダールタを演じているキアヌ・リーブスは、水とオレンジだけを食すというダイエットをして、かなり減量して、覚醒前の修行中のやせ細った行者姿のブッダを演じています。キアヌのブッダの美しさも見どころのひとつ。

 こちらはBefore で、まだ世間の世知辛さを知らない、若い王子のシッダールタ。その後、この世に老・病・死があることを知り、ショックを受けます。そして、人々をそれらの苦しみから解放する者に自分がなるのだと感じ、お城を出て修行者となる。


こちらがAfter。菩提樹の前で瞑想を重ねていると、数々の試練が来る。魔王の化身したものが次々と、瞑想の邪魔をしに来るのです。そして最後の最後で現れたのが、自身と同じ姿をした自身の「エゴセルフ」でした。

ブッダ:「やっと会えた。建築者よ。お前の家はもう要らない。」
自我:「私がお前の家だ。お前は私の中に住む。」
ブッダ:「お前は幻想である。大地が私の証人である・・・」

このやり取りの後、ブッダと同じ姿をしていた「自我」は魔王の姿に戻り、あえなく退散し消えていきます。自我の消滅・・・これにより彼は覚醒を果たす。

そこで、ラマ僧の声が子供たちに読み聞かせる形で、ナレーションが入ります。

『こうして彼は彼自身の感情、つまり喜びや苦しみや、他人に左右されない安らぎを得たのだ。』

悟り・・覚醒という難しい事柄を子供向けに、それも仏教の下知識の無い欧米の子供にも分かるように、そのように表現している。お陰で、悟りや覚醒というと引いてしまう我々、まだまだこれからのメタフィジストたちにとっても、響くのではないでしょうか。感情、、苦しみだけを排除するのではなく、「喜びや苦しみでアップダウンする感情という仕組み」そのものからの解脱、ということ。そうであれば幻想の世界で一喜一憂したり他者や周囲を気にすることも無く存在する者となる。

サンスクリットで自我は「アハンカーラ」、そのままの意味は「私を作るもの」。これが「建築者」なのでしょう。映画ではそのまま「Architect」と呼びかけていました。

それから、もう一つ、今回改めて見ていて強く響いた言葉がありました。それが今日の記事のタイトル。「to learn is to change」(学ぶことは変わることである)と、シッダールタが他の修行者たちに語りかける場面があります。けれど頑なに自分たちのやり方を続けようとする修行者たちは、ブッダが悟りを諦めたのだと思い、ダメだこりゃと去って行く。

学ぶことは、変わること。

その通りだと思います。学び続けることは、変わり続けること。固定されたメソッドや、人から提示された知識ではなく、基本のエッセンスを身につけ、その基礎を繰り返しながら、常に、自分自身で体験し、気づき、自己が幻想として仕掛けている制限を外していく。=変化していく。その積み重ねで、現実がその都度、創造され、展開していく。変化を起こしたエネルギーは自身の力となって、蓄積され、また自分を強くしていく。

自分が強くなれば、知恵が深まれば、自分の居る現実、自分の見る現象・・正確には、単に現象ではなく現象を識別する自分自身の意識が、変わっていく。世界の意味が変わっていく。

変わることを恐れていては、学べない。

学んだとしても、学びきれない。頭での学びで終わってしまい、知恵にならない。エネルギーから、現実レベルまで、変容を響かせることにならない。ただ、知識の引き出しが増えていくだけ。

まるで雪がたくさん降り積もった日の朝に不意に訪れた晴天のような、清々しさと共に見終えました。おすすめです。宜しければ、見てみて下さい。

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最近思ったこと。

そもそも人が人と関わるとは、エネルギーの奪い合いそのものだと言えるのかも。親子だってそう。夫婦だって。赤ちゃんなんてミルクを飲むのだから、本当にヴァンパイア。母乳の原料は、お母さんの血液なんだもの。。。(笑)

こんなことがまた、見え過ぎてしまい、「この世界の切なさ」を改めて感じたのでした。自分からはせめて、人から、奪わずに生きていられるようにと、いかにも・・ではなく、一見わからないやりとりからも、相手からエネルギーを自分が取ってしまうようなことにならないよう。

そして個人的に思うのは、いわゆるsustainable、持続可能な世界をこれから整えていくには、奪い合うことで成り立っている今の人間社会のあり方ではなく、与え合い、恵み合う仕組みを作っていかなくてはと。ただ、道のりはそんなに簡単ではなく、日頃の生活、普通の人々の普通の世界の中にも、「奪い合い」がごく当然のように浸透していると感じます。ビジネスや、肉食や、家族のあり方など、あらゆること。相手の為を思って機能すること=利他の精神で積み上げられた社会にならない限りは、「奪い合っている」人類のあり方が終わらないと思うのです。

アメジストエレスチャルがパワフルなのでしょう。
秘蔵していて、誰にも見せたことのない、レーザーをお見せしたくなりました。



非常に頼もしく、居るだけで心強いマスターのひとつです。消えることのない光を灯し続けてくれるかのようです。

今日、ある人が言っていました。
「野菜は、どこに持っていって種を植えても同じ野菜が出来るなんて、凄いな」

そう。種はソウルシード。
人の魂は変えられない。エゴがどのような家を建て、どのような装飾をし、家の主人のような振りをしても。ソウルはずっと同じソウル。同じ光を放ち続ける。雲に隠されても、太陽は、太陽。ずっとそこに在る。


今日はこのくらいで。
リュミエールでは神殿ソフィア始め、up作業を進めています。また覗いて下さい^^

各クラスや来年度の募集状況など、そろそろ出したいと思いますが、また次回に。

Love and Grace,
Amari