2017年8月14日月曜日

癒しの波紋/無心と一心



先週は、一週間の中で3度の、「リリスリリース」セッションが在りました。
こんなことは珍しいですが、6月に書いた記事を受けて、入ったご予約がちょうど固まっていたという感じ。でも、きっと何か、あるのだろうな。。この一週間のリリスウイークをかけて、起きていくことが。。と思っていたのですが、結果はとても意外な展開でした。

通常、このワークは対面ならばクライアンの身体の上に石を並べて行います。遠隔ならば、石たちが乗っているトレーを脇において、一緒に参加して貰います。先週の最初のセッションが遠隔だったのですが、スカイプでお話をした後、回線を切って目を閉じるとすぐに、転送されたのはGATステーションでした。

いつもは、基本的にはシャンバラ、乳海に浸るところからスタートし、リリースするものに応じて、宇宙光線やカルナ・セイキムなども繰り出し、石の力も活躍します。多次元的に縦横無尽にエネルギーを体験しながら、その方のソースと繋がって、癒してもらうことも。基本のセッションの場は、5次元の乳海やシャンバラです。それが、今迄見たことのない大きな、半円形の白光りした空間。GATステーションの、それも初めての、ヴァージョンアップした転送の部屋に自然と持ち上げられました。

回りには白い人々のギャラリーも居て、これまでの、アルガンザの五次元空間を経由する部分をすっ飛ばして、瞬時にそこへ転送された感覚・・さすがはアルクトゥルスのテクノロジー。展開も早い。


 そして今回、もうひとつ意識していたのはアンドロソウルの癒しというテーマでした。何となく、3つ配置されていた先週のリリースのお客さんたちの顔ぶれから、

アンドロセラフ、アンドロヒューマン、アンドロセラフ、と並んでいらっしゃったので、リリスリリース3本だてウイークとはいえ、「アンドロウイーク」とも言えるのではないかと。。。そしてこのまま、今週末からのジェネシスへ、突入するであろう。。と。

そんな読みとも連動して、サロンの石コーナーに、追加/補充した幾つかの石がありました。こちら、水色系のコーナーに、「リリス」記事で紹介したオウロプレートのクリアなカテドラル(イシスの象徴として)。

そして、ブルーと白の愛らしいスフィアは「ビオラン」
ロシア産の、「ブルーダイオプサイト」です。

ダイオプサイトは、とても古いレベルの傷を出してくれます。去年の暮れころ、私はダイオプサイト祭りをしていましたが、そのキッカケがこちらの、余りの可愛さに大事に大事に、自宅に仕舞っておいた(笑)ブルーのビオラン。

エヴァちゃん(サロンの大木)の花粉で汚れた石のテーブルのお掃除をしていた先々週、なぜか、お掃除を終えたら石が多少動いて、空間が幾つか出来ていて。。。もうひとつのテーブルもともに。じゃあ、何かここに補充しようと思った時、ジェネシスが迫っていたこともあって、高次自然界と関わっていると感じるオウロプレートの3つのマスタークリスタルと、こちらの「姫の祭壇」の水色コーナーに、これらを置いたのです。

その何となくの行為から自分で、「これはアンドロセラフのグループソウルごとの癒しが、再び次の波が来ているのではないか」と感じました。セッションを終えてシェアをさせて頂くと、始まってすぐに包み込まれたエネルギーに「セラフ」と感じたと仰っていました。私のほうでも、その日は朝から、上空にセラフの群れを感じていて、瞑想すると引き上げられて同化する瞬間もあり。やはり、前回ジェネシスを終えてからずっと、自分の回りにはセラフの気配が近い。。

波紋のように広がっていき、いつかは全人類へ・・拡がっていくと思う。アンドロメダというテーマは、これまでは一部の人しか、反応しなかったかもしれないけれど、ジワジワと水紋を描きながら、次のグループ、その次・・と、全体に広がるのだろうと思っています。これから、活性してくることでしょう。実はモナドレベルになると、多くの地球のソウルはアンドロから来ていると、私は思っている。。。



2014年末、ジェネシス層の癒しがさらに加速して、もう既に何度も、グループ単位でまた大きな解放があった、と感じたポイントがこの3年近くで幾度も、ありました。

今回、この一週間もまさにそんな時期だったと感じます。アンドロ由来のさまざまなスピリット、ソウル。

木曜日にはお二人目のリリース。こんどはアンドロヒューマノイド。数としては少ないですが、ここ数年、アルガンザにはいらっしゃっています。そして、やはりご本人のシステムもですが、起きるワークの進行具合もスペシャルメニューという感じ。高度なことが多次元の同時多発で起こる。




 真ん中に映っているのが、前にも載せたことあるかな、ロケット型DTのオウロプレートの淡いスモーキー。こちらは、アルクトゥルスとシリウスの複合文明、アルカテラスが似合いそうだと思っていましたが、

ジェネシスのアズライトシャッタカイトスフィアの地球とともに、こちらのテーブルに加わりました。

なんだかとてもしっくり来ています。もう、このサロンに集まっている石たちこそが、ジェネシスなんだ・・と改めて感じた。この石たちとともに、これまでワークを受け取り、作ってきたのだから尤もだけれど。




サロンの世界樹たる、エヴァちゃんも、ジェネシスウイークを前にして、みなぎっている気がする。


高すぎて、全体を写せないのが残念です・・笑

そうですそうです。
話しが散らばってしまったのですが、、

「リリスリリース」であっても、方法がGATとなってスピード化し、多次元的になり、地球の歴史における二元的な「白い/黒い」から来る「黒の解放」では終わらず、ジェネシス層にある、リリス要素のさらに奥にある素因のエネルギーを、リリースするという展開を、3人の方のセッションどれもが、していました。

これはちょっとした、私には驚きであり、今迄、前にも書いたように「陰陽師的なワーク」としていた「リリス」も、変容していた。石を並べる必要さえ無くなりそう。とも思いましたが、日曜日セッションの方には、ダイレクトに置いてあげたい(笑)気分になり、ご本人に選んで頂くと、やはり石を配置することに。これはまた、良い選択だったと思います。細かいものが潜んでいる奥の奥まで、石たちの光が浸透してあぶり出してくれたようでした。

時代は変わっているのだなああ。。
そして、「何をやってもジェネシス層」の解放・癒しになっていくというのが、更に顕著になっているのを実感しました。

さて、そんな「リリスリリースweek」を経て、セラフやGATのお陰で私も調整され、週末の第三回めの「ジェネシスベーシック3デイズ」を迎える準備となったようです。サロンも、石の集合エネルギーが持ち上がり、ロフトの祭壇では、ソフィアの厳選が滝のように白い光を流し込んでいます。。。(気づいた時、しばらく見入ってしまいました/笑)

以前のブログ記事に反応してくださった、3人のお客様、ありがとうございました。
そして、たくさんの解放や癒しが起きて良かった。

ジェネシス3デイズの皆さんも、どうぞ宜しくお願いします。

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「無心」と「一心」

好きな歴史上の人物のひとりに、世阿弥がいます。
いつ頃だったろう、20代前半から無性に心惹かれて・・聖徳太子とともに、旅のテーマにしたりしていました。そのころお能も好きで、何度か観に行きました。最近はしばらく行けていないのですが、近頃、世阿弥関連の本を幾つか覗き、ますますお能に行きたい気分が高まっています。

「初心わするべからず」とか、世阿弥が残して、よく知られている言葉が幾つかありますね

無心というのは、「せぬ心」とも言うようで、煩悩による揺らぎを越えた、人の感情や思考を抜けたような意識状態を言うのではないかと、受け止めているのですが、世阿弥の思想は本当に、インド思想・ヨーガ哲学と似ていることを言っていたりして、極めた人ならではの意識変容の末に、導き出された哲学なのだろうと思います。

単に芸を極めたというだけではなく、人生そのものが非常に激動。市井の芸人から時の権力者の側近にまで持ち上げられた少年時代から始まって、室町時代の難しい政治状況にも翻弄されながら、流罪に遭いながらも、父親から受けついだ芸能を、哲学にまで押し上げていきます。

インドのヨーガもアーサナとして身体を動かしますが、鎌田東二氏は著書の中で、世阿弥の能を「心身変容技法」と呼んでいて、末は魂にまで浄化/変容の高まりが波及していくような、肉体と精神、そしてその奥にあるものさえ、変容させていく技法、そして思想と語られています。

思うに、世阿弥の「無心」とは、凄く分かりやすくニューエイジ風に言ってしまえば、「エゴセルフではない自己と同化している」状態と言えるのではないでしょうか。その無心状態での芸が、究極の形であると世阿弥は説きますが、アンタカラナが開発され、肉体も鍛えられバランスよくチャクラも調和し活性した名人が舞うと、自身のハイヤーセルフと繋がり、無心の芸が勝手に身体を動かすのは、想像できることです。

ほかに、「離見の見」という言葉もあり、自身の舞う姿を肉体の中からではなく外側から見つめるというもの。これも何だか、精神論、意識論に聞こえますね。

少し前に、意識の学校で、ふと思い立って世阿弥の思想を取り上げてみました。
もともとお能に興味をお持ちだったという受講生のMさんがさりげなく、「極めた人はみな、同じ所に到達するのですね」と呟いていました。本当にその通りだと思います。インド思想の意識論とさえ被る世阿弥の境地は、もう芸能というジャンルを越えて、忘我、エゴセルフの超越、煩悩からの解脱・・を、語っている。

人生そのものは過酷で、命がけの状態に追いつめられ乍ら、舞台の上で舞うこと、そして世阿弥の場合は演目の創作のための研究も。だからこそ、到達した哲学。

「一心」は、恐らく集中すること。その道を探求し続ける一点集中の心を言うのでしょう。こちらはちょうど一昨日、星巫女で紹介したサーンキャ哲学からの、「一点集中の心」が、想像されます。サーンキヤ(ヨーガの哲学要素)でも、一点集中と、「離見の見」のような客観的な俯瞰を同時に、行えるよう訓練していくことで、直観を磨くことが出来るとあります。

そして、鎌田氏の著書「世阿弥」の最終章の締めくくりは、こんな文章が載っています。

『極めて臨機応変でありながら、終止一貫している世阿弥の生涯と思想、そこに「無心」と「一心」の統合を見るのは美し過ぎるだろうか』

・・・無心と一心の統合。

世阿弥は、もともとは奈良の春日大社に祭事において神楽を奉納する家系で、父である観阿弥が才能のある人で、伝統として受け継いでいた申楽(さるがく=神楽)を、ヴァージョンアップさせたようです。そこに、息子である世阿弥が(美少年だったそうで・・)舞い手として、舞台の上で輝いて、将軍に愛されるまでになる。

たとえば庶民に祭りで見せる時、権力者たちに披露する時、
外で、室内で、様々な演目、様々な状況で・・・・臨機応援に自身のメソッドや見せ方を変え乍ら、そうすることで、一貫した何かを守り続けようとした。これはきっと、色々なジャンルの専門家の人はみな、言えることとも思います。

本当に守らなくてはならない大きな単位のもの

を、徹底して、守り抜こうと思うと、

その時々、その場その場で出していく、見せていく要素はむしろ、常に変えていく必要がある。

私のレベルでも(名人の域はまだまだ遠くても)、それは仕事をしてきて、生き様としても、実感&納得できます。。。

そうしなければ、守り抜けないものがある。

一方で、「絶対に貫くもの」が無いと、ずっと同じものを出し続け、見せ続けていてもそれほど、支障はない。

鎌田氏の最後の結びは、とても自分に響きました。

世阿弥は著書で、能が神事であることを繰り返し強調し、従事する人々にもその意識を持つよう促しています。能舞台も聖域としての色々な意味が、込められているのだとか。

無心と一心を絶妙に織り交ぜながら、臨機応変に世界のエネルギーに向かい合い、自らの「芸」(それが何であっても)を、極限まで磨きつづける。・・・地上で生きる人としての不便さや生命維持というテーマがあるからこそ、その制限の中で磨かれ完成される極みの美しさと精神性が、世阿弥の言う「花」として結実するのでしょう。



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【アルガンザ&リュミエール インフォメーション】

アルガンザ、サイトをリニューアル中です。

ショップの更新が(PCの故障、マシンの入れ替え以後)遅れがちです、、本日、次回予告のサムネイル7つをアップしています
http://www.lumiereblanche.net/crystal/index.html

11月のカルナレイキセミナー
28(火)、29(水)、30(木)の3日間日程で、プラクティショナー1、2、マスターまで伝授する珍しい日程です(ご希望から設定しました)。28/29のプラクティショナーはあと1名、30日のマスターはあと2名エントリー可能。3日連続希望の方は、あと1枠になりますので、お早めに。。

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今日はこのくらいで。。
Love and Grace,
Amari